木枯らし吹きすさぶ冬の夜。




  餓えた坊主を一人拾った。




   
其の壱






 年の瀬も押し迫ってきたある日、料理屋『風車』の板前、サンジは暖簾を仕舞おうとして、表へ出た。



 「うぃーーっ寒いねぇ・・・こう寒くちゃ客足も遠のくってもんだろ」



 実際、風車の客の入りが悪いのは、暴力的な板前が、男の客をほとんど追い出してしまうからなのだが・・・本人はそんなことは知らぬ存ぜぬ。
 愛しのおナミさんを守る武士のような気持ちでいるので、彼女に群がる男共は全員排除だ。



 そのうち、彼女と夫婦になれると軽く本気で夢見ているのだ。



 おナミさんの想い人が誰であるか、重々承知の上で。



 それでも愛した女を守るのが、自分の宿命であるかのように。



 相手にもされないことは、分かっていても。







 白い息を吐き、暖簾を外す。
 感傷的になるのは冬の寒さのせいか・・・、と店に戻ろうとしたとき、



 足首にひやりと冷たいものが触れた。



 (うううひぃぃぃぃっっっ!?)



 びびくんっ!と総毛立たせ、振り返っても、誰もいない。
 辛うじて悲鳴を上げることは気合で避けたが。



 「も・・・物の怪か?」



 そんなもんがほんとに居たら怖いだろうと思っても、つい口に出してしまう。




 「だ・・れが・・・・物の怪・・だ・・」



 「んあっ!?」

 途切れ途切れに聞こえた声に、ふと下を見遣れば、そこに、黒い物体が落ちていた。



 「・・・おい?・・・・・・物の怪か?」



 「・・・違ぇっ・・・・・・腹・・・減った・・・」



 地べたに這いつくばった黒い物体は、それだけを残し、息絶えた。










 「勝手に殺すなっ!」



 「いやぁ〜すまんすまん。お前さんちっとも動かねぇからよぉ。こらぁおっ死んだかな〜と」



 閉店後の風車で、



 寝そべって腹を鳴らしたまま毒付く坊主。



 そいつに飯の支度をしてやりながら、サンジはその坊主のなりを眺めた。




 目深にかぶった笠、真っ黒な袈裟、首に提げたでかい数珠。それだけなら、旅の坊さんに見えなくもない。



 だが問題は、腰についた三本刀と、坊主に似合わぬその体躯。



 (刀提げた生臭坊主か・・・たしかこいつ、ビビちゃんの一件で会ったような気もすんなぁ)



 「なぁおい、あんた、もしかしてルフィ親分の知り合いだったか?」



 炭焼きの魚をひっくり返しながら聞くと、坊主はついと視線を寄越した。



 目が合った一瞬、男の瞳が光った気がして、サンジは小さく身を震わせる。



 (なんだ?・・・こいつ、ほんとに坊主か?)



 「あぁ、あのべらぼうな親分なら知ってる。随分世話かけられたがな」

 「はは・・そうか、そりゃぁご愁傷様だな」



 声が裏返りそうなのを悟られないよう、ゆっくりと目を逸らす。

 俯いて、菜箸を握りしめた。



 おいおい、こんな坊さんにビビッてどうするよ。

 おれは曲がりなりにもこの風車の料理人だ。言うなれば主人だ、あるじだ。

 腹減らした奴には飯食わせてやるのが人情ってもんだろ?一流料理人の心意気だ。



 たとえ相手が物の怪だろうが、胡散臭ぇ坊主だろうがな。














 「ほら、出来たぜ、有り合わせで悪いが食ってくれ」



 どん、と置かれた料理の数々を前に、坊主はきちんと両手を合わせ、「いただきます」を呟いてから、物凄い勢いで食べ始めた。
 大食漢な全身胃袋ルフィ親分も真っ青な勢いで。



 「はいよ、召し上がれ。仕込みの残りで作ったもんだがよ、おれの飯は美味ぇぜ。他所で食えなくなるくらいにはなぁ」



 「あぁ。確かに美味ぇな」



 衒いも無く褒められ、サンジは破顔した。
 先程までこの坊さんを怖いと思っていたのが嘘の様だ。



 『料理を褒めてくれる奴はいい奴だ。』



 それがサンジの自論であったが故に、ころりと信じ込んでしまった。
 この、如何にも一癖ありそうな僧のことを。




 サンジは聞かれてもいないのに飯をかっ食らう坊主を前に、一人で喋りだした。

 風車のこと、おナミというえらく別婿な女将さんがいること。

 将来、おナミと祝言を挙げてこの風車を継ぐ気はあるのだが、なかなか頷いてくれないこと。

 でもお城のビビ姫も可愛くて、身分違いはちと辛ぇな〜とか思ってること。



 終いには、大江戸中の女の名前が出るんじゃないかと言う位、サンジが自身の女性観を語りだしたところで、坊さんが鬱陶しそうに止めに入った。



 「分かった。お前の言い分はよく分かった。とりあえず飯がうめェから、黙って食わせろ」



 この短時間で、『飯を褒めると板前の機嫌が良くなる』ことを学んだらしい坊主が、茶碗を持ち直し睨むのに、サンジは喋りすぎたのを恥じるかのように照れた笑いを見せた。



 「お?そか、悪ぃな。あ、でもよ、あんた一応坊さんなんだろ?精進料理とかじゃなくてよかったのか?」



 「いや、問題ねぇ。こんな格好しちゃいるが、俺は仏門から外れた人間だ。肉も食うし酒も飲むぞ。こんな美味い飯は久しぶりだがな」



 「そ、か。・・・つか、あんた、うちの前で行き倒れるなんて、一体どんだけ食ってなかったんだ?」



 「・・・十日ほどだ」



 「はぁ!?その間何も食ってなかったのか!?」



 「水は飲んでいたぞ。川の水や溜まった雨水なんかをな」



 「っにしても、普通は死ぬぞ?どこに居たんだあんたぁ?」



 「・・・・・・山の中に居た」



 「ふ〜ん、山篭りで修行か?色々大変なんだなぁ坊さんってのも。」



 「いや・・・・」



 サンジが感心して言うのを、ばつが悪そうに言いよどむ坊主。



 聞けば、散歩のつもりで出掛けたのが、いつの間にやら見慣れぬ山に入り込み、降りるまでに十日もかかったらしい。
 それを聞いた途端、サンジは腹を抱えて笑い転げた。



 「おま・・っ、そりゃ大変な目に・・・っっ・・」



 肩を震わせてひーひー言ってるサンジをじとりと睨んだ坊主は、面白くなさそうに熱い茶に口を付けた。



 その間も、サンジは憑かれたように「坊主が迷子、迷子の坊主・・」と繰り返してはケラケラと笑っている。



 こいつ、こんなゴツイ見た目に似合わねぇ方向音痴かよ?

 か・・・可愛いじゃねぇか。



 そんな板前を余所に坊主は再び手を合わせ、

 「馳走になった」と言うと、サンジのほうに向き直った。



 「美味かった。いくらだ?」

 懐を探る坊主に、サンジは漸く馬鹿笑いを収めると

 「つっても残り物だからなぁ。いつも勘定はおナミさんがやってっし。・・・あんたの気持ち分でいいよ」

 ニッと笑ってそう言った。




 が、



 「・・・無ぇ」



 懐を押さえた坊主がそう言うのを聞いた途端、



 「あぁ!?あんだとてめぇ!おれの飯に払う金がねぇってのか!?」




 『お気持ちで』とか言ったくせに急に目の色変えて突っかかるサンジに、坊主は面食らった様子を見せ。




 すぐにニヤケた笑みを浮かべた。




 「大人しかったかと思えばきゃんきゃん吠えやがって・・・えれぇはねっかえりだな。・・・面白ぇ。」




 犬歯を見せて厭らしく嗤う男に、




 サンジは言い様の無い気持ちを覚えた。





 初めて感じる、心臓が破けるほどの激情。






 それは、まるで恐怖にも似て・・・。









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