薄い戸板が、風を受けて鳴る。




  看板の風車が、かたかたと、回る音が聞こえた。






   
其の弐









 しんとした店内で、静寂に包まれた時を打ち破ったのは、緑頭の坊主の一言だった。



 「俺は今持ち合わせがねぇが、金とは別に、受けた恩は返すぜ。」



 義理堅い言葉とは裏腹に、その顔には人を見下した様な歪んだ笑みが浮かんでいる。



 口の端を吊り上げて笑う生臭坊主に、サンジは違和感を覚え、少し後ずさった。



 (た、煙草・・・煙草、どこやったっけか・・・)



 冷や汗が背中を流れるのを感じながら、視線を巡らせ煙管を探す。それは、逃げ道を探すも同然だ。



 目の前の坊主と目を合わすつもりは、もう無い。




 こいつはやべぇ。

 なんか分かんねぇが、目がやべぇ。

 仏の道に生きる男の顔じゃねぇ。



 言うなれば、



 鬼か・・・・・・夜叉か。




 ちと、厄介なもん拾っちまったか・・・。








 「おめぇ、おナミとかいう女将に惚れてるとか言ってやがったな」

 「・・ぁ?・・あぁ。それがどうかしたかよ」

 静かな声音で問いかけられ、威勢を張って言い返すが、どうにも気が入らない。

 それと、恩返すってのと、どう関係すんだよ。



 「あの女は、親分のイロだろうが。おめぇに望みはねぇぞ」



 おもむろに吐かれた辛辣な科白のせいで、サンジの短い導火線に火が点いた。



 「あんだとっ!?んなことてめぇに言われる筋合いはねぇんだよこの生臭坊主!!」



 襟元を掴みあげ詰め寄る。

 つい先程までこの男を恐れていたことなど、もう忘れていた。





 「おナミさんが誰を好いてるかなんてなぁ、一番近くで見てるおれがよっく知ってんだよ!ぽっと出の坊さんに言われるまでもねぇ!!何も判ってねぇ癖に、偉そうなこと言ってんじゃねぇぞクラァ!!!」





 そうだ、望みがねぇことなんて、おれが一番よく知ってる。



 知ってて、それでも

 この店とおナミさんを守りてぇんだ。

 料理人としてだけでもいい。

 それが、おれの出来るせめてもの恩返しなんだ。





 だが、他人に言われると腹が立つのも事実。

 しかも、さっき会ったばかりの胡散臭い僧侶に。



 ぎり、と歯噛みをして睨みあげると、少しばかり坊主のほうが背丈が高いのが判る。



 サンジの顔を見下ろして、男はまたニヤリと人の悪い笑みを見せた。


 面白がっているような、蔑んでいるような。


 白く、形のいい歯を見せながら、坊主は、


 「俺は、ゾロだ。」


 と、此処に来て漸く名を名乗った。

 サンジにしてみれば、そんなことどうでもいい。

 が、

 何故か、その名を聞いた途端、胸の奥を鷲掴みにされたような錯覚に陥った。




 「お前に返す借り、今決めた。」




 ゾロと名乗った坊主は、平然と襟元を締め上げられたまま、サンジのうなじに指を這わせた。



 「・・・っ」

 くすぐったさに眉を顰める。

 ゾロはサンジが身を捩るのに構わず、半端に結んだ後ろ髪を引き、顔を上向かせ、

 桜色に色づく唇に、己の口を合わせた。



 「―――――っ!!??」



 それは、口付け、と言うには余りに乱暴で。

 サンジは驚いて目を見開いたまんま、唇を噛まれる感触を味わう。



 頭の芯が、ぼやけて何も考えられなくなった。



 ずきずきと、さっきっから、心臓が鳴り響いて。

 苦しくて堪らない。

 風の音が五月蝿い。

 掴まれた首筋が熱い。熱くて、痛い。

 溶けてしまう。このままでは。



 身体の奥が溶け出して、無くなってしまう。




 息をしようと開いた口に、ゾロの分厚い舌が入り込み、ぬるりと舌を擦り合わされて全身に鳥肌が立った。

 上顎を舌先で擽られ、歯列をなぞられる。口内を蹂躙されながら、いつの間にか着物の合わせから入れられた指で、胸の尖りをぎゅむ、と摘まれた瞬間。

 「ふぁあっ!」という声と共に、かくんっと膝が折れたサンジは、その場に崩れ落ちた。








 ゾロが、ニヤケた顔で見下ろしているのを、小刻みに身体を震わせながら、ぼおっとした目で見遣る。



 (なんだ。今の、なんだ!?)



 坊主に口、吸われたような気がする。・・・つーか吸われたよな?しかも噛まれたし、舐められたし!!



 ほんの少し弄られた胸の先が、じんじんと疼くのも、サンジは他人の身体のように思う。

 何故、自分の身体がこんな反応をするのか。それが信じられない。

 雷に打たれたような衝撃だった、と思う。

 それくらい、身体の奥が痺れた。




 「んな感じやすい身体、独り寝で持て余すのは勿体ねぇだろ。・・・相手してやるよ。俺が、恩返しにな」



 「・・・は・・ぁ・・・・・・あぁっ!?」



 脇に腕を差し込まれ、おろっ?と思う前にゾロに持ち上げられる。

 そのまま、俵か何かのように抱えられて、奥の居間へ通じる襖を開き、畳の間に敷きっ放しにしてある布団の上へと投げ出された。



 「痛ぃてっ! クォラ!なにさらすイカレ坊主!!・・おい!?・・・うぉい!!な、なに脱がそうとしてやがんだ!?」

 腰紐に掛かるゾロの手を押さえつけながら、サンジは漸く自分の置かれた状況を省み慌てた。



 「あ?美味ぇ飯の礼だ。有難く受け取れや」



 「お、おおおおおめぇな、ななに、すっ――んぐ!」



 喚きたてる口を馬鹿でかい掌で塞がれる。

 固い感触と、火傷しそうなほどの手の熱さに、眩暈がした。




 なんで?
 なんで、飯食わしてやった相手に、こんなことされなきゃなんねぇの!?



 余りの理不尽さに、サンジはもう既に半泣きだ。




 「おめぇは気持ち好くなって、俺も借りが返せる。これで一石二鳥じゃねぇか。」



 「っ!!ふ、ぐーーー!!」




 これで口が利けたのなら、




 『んな出鱈目な理屈があっかよ!おれは頼んでねぇぞ腐れ坊主―――――!!!』



 と叫びたかった。











    其の参へ