どうしてそこまでして、世界を目指すのかと

野望のために。全てを投げ出すことも厭わないその姿勢を、
不思議に思って 出会った頃、一度だけ聞いた事がある。

ゾロは、少し考えるようなしぐさをしたあと、

「約束だからな」 

と静かに呟いた。


こんなときなのに、なぜかそれを ふと、思い出した。





ちっちゃいゾロを召し上がれ♪ 5





まだ幾分小さなてのひらの、温もり


困惑した表情を浮かべる少年の手を、ぎゅうと握りしめる。



いなくなってほしくない。 だってこいつは、まだここに居る。


「チビ・・・」

歯の根が噛みあわず、声が、息が、胸が、震える。

どくん、どくんと大きく鳴る心音が、てのひらへと伝わり、
それに触れるチビの手も、鼓動が震えとなって感じられた。


「おれ、いなくなったとしても、ずっとあんたが好きだ、サンジ」


泣きそうだ。

聞くことは一生できないと思っていた台詞を、言われるのが、こんなときだなんて。


本当はもう、知っている。
こいつが嘘を言うわけがないことも。
この少年が、いなくなる、と言うなら、そうなんだろう。

だいたいが、突然で、不可思議すぎる出会いだった。

きっと実際なら、ここに居るはずがない存在なのだ。




それ以上口を開かず、ただお互い見つめあう。

もっと近付きたいのに、どうしていいか分からなくて。

サンジは、触れる熱い手が、じとりと汗ばむのを、肌で感じていた。






そして。それは、唐突だった。


「うわー。じれってェ。」


背後で、聞きなれた声がした、と思った直後。

それまでなかった気配が、視線が、痛いほど突き刺さる。
ざわりと、全身に鳥肌がたつ。

「・・っえ?」

体中、五感の全てが、背後に立つ男に向けられる。

「あんとき、俺が『じれってェ』つった訳がやっと分かった。青すぎて見てるコッチが痒くなるぜ」

やれやれ、とでも言いたそうな声に、ぐるりと体ごと振り返る。
無意識に、チビを背中に庇った。

「ゾ、ロ・・・・・・・な、んで、ここ・・」

喉がひりつく。頭の奥が冷たくなって、ザッと血の気が引いていくのが分かる。

「あ?なんでここにいることを知ってるか?それとも、なんで来たかって聞きてぇのか?」

自分に似た少年が現れたときでさえ、興味なさそうに、近付いても来なかったくせに。

尤も、それ以前から、この男が、自らサンジに近付いてくることなどなかったが。



チビを背中に庇い、ゆっくり近付いてくるゾロの前に立ちふさがる。

ほんとに、一体、どんなつもりで。

「おい、お前」

ゾロは、サンジに構わず、背後にいる少年に話しかける。

「もう時間がねぇぞ。別れは済んだのか」

重々しい事実を突きつけるような、低い声で。

「・・・・分かってる・・・けど・・・なぁ、どうしても、帰らなきゃ駄目か?」

「それを決めんのは、俺じゃねぇよ。残念ながらな」


サンジを無視して会話をする、親子のような二人のゾロに。訳が分からぬまま。

戦慄にも似た悪寒が背筋を走る。

じっと黙って。拳を握りしめた。

ただひとつ、分かることは。


やっぱり、この少年は、いなくなってしまうのだ、ということ。


今でも、ゾロが側にいると、胸が締めつけられるほどの痛みを訴える。その理由は、理解できるけれど。
でも小さいゾロも、失いたくないのだ。絶対に。

「・・・行かなくて、すむ方法は、ねェのか・・?」

やっと出た声が、酷く掠れていることに気付いたが、そんなことに構っていられない。

ゾロはきっと、全てを知っている。それが何故かはわからないけれど、そんな気がした。

「なあ、お前は、知ってるんだろ? なんでコイツがここにいんのかとか・・誰なのかとか・・・」

「あぁ。知ってるぜ」

「だったら・・!」

「だが、どうにもならねぇ。勝手に来て、勝手に帰ってかなきゃなんねェんだ。こいつは」

静かに、言い聞かせるように、吐かれたゾロの台詞。

堪えていたものが、どっと溢れ、頬に一筋 涙が流れた。

「おれだって、サンジと一緒にいてえ」

へなへなとしゃがみ込んでしまったサンジに、悲しそうにチビゾロが話しかける。

一緒にいたい、と言いつつもその顔は。

すでに、決意を決めている男の顔だった。




「・・・また、会えるか?」

ずび、と鼻をすすり、サンジが訊く。

「さァな。コイツの運次第だろ」

ぽん、とサンジの頭に手を置くと、大きい方のゾロが言う。
チビゾロを、しっかりと見据えながら。

「・・・・・もうすぐ、か」

ゾロの言葉に視線をあげれば

まるで、霧が全身を包んでいるような。

その、少年の姿が、徐々に薄くなっていくのを、サンジは見た。

「チビ・・・・からだ、が・・・」

チビゾロが、己の手を、不思議そうな顔で見つめる。
ゆっくりと、透けて、先から消えてゆく、その手のひらを。


ああ、ほんとに、行っちまうんだなぁ。


目に溢れる涙を拭い、サンジは立ち上がって、チビゾロを抱き締めた。

「チビ・・・・・・大好きだよ」

どんなに、不思議な存在でも。もし、こいつが、幽霊か何かだったとしても。
それでも、一緒に過ごした時間は嘘じゃなかった。

「忘れねぇから。だから・・・」

「おれも・・・忘れねえ。サンジ・・」

ぎゅううううっと抱きしめる、その感触すら、段々ぼやけていく。
心臓が、握りつぶされそうだ。
悲しい。悲しくて、怖い。居なくなる、この瞬間でさえ、愛おしくてたまらない。
ぼろぼろと、とどまることなく涙が流れて、チビゾロの肩を濡らす。


「死ぬなよ。生きろ。 生きて、世界を目指せ。そうすりゃ、また会える」


背後から聞こえる、低く、凛とした声に。

チビが、頷くのを感じる。


そのまま、ふわりと霞のごとく、サンジの腕のなかで掻き消えた。



グランドラインに、もうすぐ夜明けが訪れる









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薄暗い木々の間に朝日が差し込み。

少年は、眩しさに目を覚ました。



年のころなら12、3歳。
緑の頭に、程よく鍛えられた、しかし細い体。
まだ成長途中の、すらりと伸びた背丈。
左耳にはみっつのピアス。
浅黒い肌に三白眼。

暖かな太陽に照らされ、立ち上がり体についた泥を手で払う。





―――――長い、夢を見ていたような気がする。



幸せな、夢だった。


見も知らぬどこかの船の上で
うまいものを食って
楽しい仲間に囲まれて
たった数日の間だったけれど

そこで、一人の男を、愛した。


優しくて、あったかくて、泣き虫な男だった。

今も、抱き締めた体の感触や、唇の温もりを覚えている。

肩口が、朝露で濡れているのが、彼の涙だったかのように。




「サンジ・・・」


夢の中で出会った、金の髪の青年。




いつか、また。

どこかで会えると、信じている。


生きろ、と。
世界を目指せと、自分によく似た男は言った。

そうすれば、きっと。


少年は、一夜の宿を借りたお稲荷さんの祠に向けて手を合わすと、
荷を抱え、歩き出した。


広く青い 海を目指して。











 
6につづく