【 その声で 】
「おい眉毛」
夕食後、キッチンで洗い物をしているサンジの背後から、
傲岸不遜な態度で名を呼ぶ男がいる。
―――いや、正確には、呼ばれたのは名前じゃない。
「聞いてんのか、まゆげ」
振り返りもせず、食器を洗う手を止めようともしないサンジに、もう一度声がかかった。
・・・・・・百歩・・・いや、千歩・・・
むしろ一万歩ぐらい譲って、『グル眉』とかならまだいい。
・・・いやちっともよくねぇが。あだ名として、理解できなくもない。
自分の眉がうずを巻いて生えているのは周知の事実だし、
サンジ本人は、けっこうそこもチャームポイントだと思っている。
ぐるぐる、とか、ダーツ、とか呼ばれるのにも慣れてきたぐらいだ。
が、しかし・・・
『眉毛』 ってなんだテメェ。
そりゃ顔のパーツであって、呼び名じゃねーだろ絶対。
「エロ眉毛」
三度目に呼ばれたときに、サンジのこめかみに浮いていた青筋が、ぶっちん、と音を立てて切れた。
手についた泡を流し、ひきつった笑顔を貼りつかせて振り返り。
「いいかマリモヘッド。おにーさんがテメェのカビきった脳みそにも分かるように言ってやる。
おれは、『まゆげ』なんて名前付けられた覚えはねぇし、ましてやエロ眉毛なんつーふざけたフルネームで生活してきた覚えもねぇんだよ!
サンジ、ってれっきとした名前があんの。分かるか?テメェの薄っぺらな記憶力じゃ、たった三文字すら覚えられませんってか?
んなわきゃねェよなぁ。つか、えろまゆげ、って、トータル文字数増えてんじゃねぇか!!!」
―――少しだけ。
人よりほんの少しだけ、気が短くて負けず嫌いで天邪鬼で口が悪い、ということを、サンジは自覚している。
だから、ただの一度も名を呼んでくれたことのない仲間に、
今日という今日は堪忍袋が爆発したのも、
逆に、よくぞ今まで我慢できた!と自分を褒めてやりたいぐらいだ。
・・・だって、他のヤツなら呼ぶのに。
ルフィ、ナミ、ウソップ、チョッパー、ロビン。
みんな、ちゃんと名前で呼ばれてるのに。
サンジだけが、『ぐるまゆ』等の身体的特徴か、『コック』関連の職業に由来する名でしか呼ばれないのだ。
・・・おれは、ちゃんとたまには『ゾロ』と名前で呼んでやることだってあるのに。
・・・もちろん、呼ばないことのほうが格段に多いけど。
つーか、おれがグル眉コックなら、てめぇはまりもじゃねぇか。いやむしろコケだ。カビだ。腐れハラマキが。
心中で吐き捨てるように考えたあと、しかしサンジはすこし落ち込み気味に思った。
―――少しぐらい、ゾロもまともに自分のことを見てくれてもいいんじゃないか、と。
するとゾロは、一瞬考えるようなしぐさを見せた後、面白そうな、意地悪な笑顔を向ける。
「じゃぁ、エロ。」
・・・うん、短くなった。さっきよりは。
だけどな・・・
「短くすりゃ何言ってもいいと思うなくそっパゲーーー!!!」
よりにもよって、言うに事欠いて『エロ』って!!他人に向かってエロって!!どーゆー了見じゃ!おどれいてこますぞ!?
「腹減った」
「人の話を聞け!」
「聞いてねぇ。腹減った」
「さっき食ったばっかだろうが!」
「あぁ。何か食わせろ」
「それしか言葉知らねぇのか!?お前はルフィか!!」
「俺がルフィに見えるか?」
「見ーえるかああぁあぁああああぁぁぁーーー!!!」
もーやだ!! こいつほんっとやだ!!
あまりにあまりなキャッチボールの暴投加減に、サンジはムカつく、をはるかに通り越して呆れてしまう。
ただ会話してるだけで、三日三晩寝ずに働いたぐらいの疲労感を味わったサンジは、
もうとにかく、エサ与えるだけ与えて、とっととここからいなくなってもらおう、と。
わざと聞こえるようなため息を吐き出しながら、冷蔵庫へと向き直った。
・・・つっても、さっきの夕食ものこってねェし、どっかの全身胃袋にしこたま食われた後だし。
あー・・・保存用によけといた魚の干物があったっけ。
んじゃぁソレあぶって、あとは野菜の炒め物でも作ってやっか。
魚の干物に合うようにと胡麻油を出し、ストッカーからブロッコリーを取り出して・・・
その、後ろで座る男とあまりに瓜二つなシルエットに、思わず「ぶっは!」と一人吹き出してしまったりしながら。
手早く夜食もどき(どちらかというとツマミに近いが・・)を作り終え、テーブルに並べてやると、
ゾロはなぜか、至極不機嫌そうに顔を顰めていた。
(うわー、そんな顔されると余計むかつくわー)
「・・・食わねえんだな?」
じとっと睨みながら言ってやると、ゾロはやおら手を合わせて、ものすごい勢いで食べだした。
(そんなに腹減ってやのか?・・・だったら、もっと素直に作ってやりゃよかったかなぁ・・)
旨そうに食うところを見続けていると、またゾロがパン、と手を合わせた。
どうやら、もう食べ終わったらしい。
「ごちそーさん」
「どーいたしまして」
ゾロから言われた礼に、へへっと笑って、食器を片づける。
その背中にゾロから声がかかった。
「じゃあな」
と。
「・・・えっ・・?」
立ち上がり、戸口へ向かおうとするゾロを振り返り、サンジは小さく声を発した。
なんで? なんで出てこうとしてるの?
ほんとに、メシ食いたかっただけ?
・・・ほんとに、食べたらそれで終わり?
・・・・・・いやべつに、何か期待してたわけじゃないけど!!ないけどないけど!!
や、ほら、いつものいつもがアレだから・・・。
やっぱり、ちょっと、ドキドキしてたのはしょーがねーと思うわけよ。
「・・・・・なんてツラしてんだよ」
まるで呆れてるみたいな、低く笑う声で囁かれて。
「・・ぅえ?」
いきなり、近づいてきたゾロに、サンジの心臓がバクン!とはねる。
「だっ・・・、おまえが・・・・ッッ!!」
だってお前が悪いんじゃねぇか・・・・
自分でも何が悪いのか不明な責任転嫁を口にしようとして
しかしその途中で、サンジの唇はゾロに塞がれた。
「―――ン!ぅ・・・っふ・・・んん」
薄い唇が、押しあてられたあと、なぞるように軽く触れる。
少しくすぐったくて、サンジは甘えるような吐息をもらした。
(なんで・・・いじわる・・・ばっか・・・)
ゾロはいつも、いつもいつも。
サンジがいやがってムカついて、反抗して言い返すのを、からかって楽しんでる気がする。
ちょっとぐらい、優しくしてほしい、と思うのも、仕方ないと思う。
ゾロに、おれのこと好きになって、なんて、言えないけれど・・・コイツにそういうの求めても無駄だって分かってるけど。
それでも、ほんの少しでいいから、おれのこと考えてくれても・・・・。
と。泣きそうになりながら。
ゾロは唇を離し、耳に近づけて。
「サンジ・・・」
吹き込まれた声に、
「―――――――ッア!」
サンジの膝がガクンッと抜けた。
一瞬で、頭の中身がぜんぶ吹き飛んでしまったみたいに。
(なに、いまの、いまのなに!?)
じんじん痺れたような疼きを残す右耳を、ゴシゴシ擦りながら。
真っ赤になって、ゾロを見ると、なんだか分かんない表情をしている。
あきれてる?笑ってる?・・・苦笑、ってこういうこと?
「ったく・・・何回繰り返せば理解するんだてめぇは」
・・あれ?怒ってる?
・・・なんで??
「な・・んで、おこってんの・・?」
「別に。」
ふ、と息を吐いたゾロが、再びサンジに近寄り、背中に腕をまわして引き寄せた。
「あほだと思ってただけだ」
「〜〜んンっっ!」
また耳元で囁かれて、サンジの身体が勝手にブルッと震える。
「人前で名前呼んでほしいんなら、いくらでも呼んでやるぜ?その後、どうなってもいいんならなァ」
「や・・っ、やぁ・・っ、ゾロ、こえ・・やだ・・っ」
低く響く声で、囁かれて、言われてることの意味さえよく理解できないまま、びくびくと震える己を持て余す。
「ん?いやか?サンジ・・・」
「ゥあっ、だ、め・・やだぁっ・・なまえ、よんじゃだめっっ・・!」
徐々に力が抜けて、崩れそうになるサンジの背中を支えながら
(この会話も、何度繰り返せば気が済むんだか)
耳元で名を囁かれただけで腰を抜かすクセに。
そうおいそれと人前で名前など呼べるものか。
だが、いくら言ってもすぐに忘れるのか、日を置いては名前を呼べ、と詰め寄るサンジに。
ゾロはため息を吐きながら、シャツのボタンに手を掛けた。
そんなところも、ものすげー可愛いけどな・・・と、甘い声で囁きながら。
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声フェチの話